レポート

参加者レポート < ミャンマー >

具志川高校2年知念理央の心を掴んだ「おきなわ国際協力人材育成事業」

投稿者: oicYOUTHs 管理者

OICユースに参加して、私たちが伝えたいこと・できること」

 

沖縄県立具志川高等学校 2年知念理央

 

  私が沖縄県の主催する国際協力レポーター事業に参加しようと思ったのはとても些細な事から始まった。ある日の放課後、私は様々な留学プログラムの要項がはりだされている廊下の掲示板を見に行った。その時、ひときわ私の心を掴んで離さないものがあった。それが、今回私が参加した国際協力レポーター事業の留学プログラムだった。通常の留学プログラムであればアメリカやイギリスなど英語圏の国々へ語学留学をするというありふれた研修内容であり、これが一般的である。一方で、この国際協力レポーター事業は他とは違った。ラオスやインドネシア、ミャンマーなどの非英語圏・発展途上国の国々へ赴き、なおかつ国際協力や医療問題について学ぶという非日常的で異色を放っていたのだ。私はどの留学プログラムよりも心奪わた。

  この国際協力レポーター事業で私はミャンマーへ派遣される事になった。私たちは、ミャンマー派遣前に事前学習として沖縄県の職業訓練校へ視察したり、ODAや青年海外協力隊・国際協力についての講義を受けたりした。なかでも、現在、青年海外協力隊としてミャンマーの障害者職業訓練校でサポーターとして働いてる方とのスカイプ通話での講話はとても衝撃的だった。 

ミャンマーの障害者は、前世の行いが悪かった為その因果応報だという考え方、つまり輪廻転成と捉えられており偏見が後を絶たないそうだ。この話を聞いて心がとても痛かった。生まれる国が違うだけでこんなにも苦しくて、辛い生活を強いられているのだろうかと。

  ミャンマーでの11日間の派遣研修は医療問題・国際協力について学ぶことができ、とても充実した日々であった。私たちは初日に老人ホームを視察した。視察先の老人ホームは孤児も受け入れており述べ3700人もの人達が生活していた。老人ホームといっても日本の老人ホームとは程遠いものだった。建物には窓がなくてもどこも吹き抜け状態であった。また、狂犬病を発症している可能性のある野良犬がそこら中にいて、とても衛生面がいいとは言えない状態だった。また、5日目には日本がミャンマーに対して行った無償資金協力で造成したフェリーを視察しに行った。フェリー乗り場では大きな声で果物やお土産を売る人がたくさんいた。そこには、私たちに必死に物乞いをする少女もいたがこれ、私たちはなにもすることができなかった。心が張り裂けそうな思いでいっぱいだった。

私たちは、ミャンマーに滞在中に実に多くのことを学んだ。インターネットからは得られないことも沢山。ミャンマーの悪い面だけではなく、良い面も多く見てきた。ミャンマーの人の暖かさ、懐の広さ、自然の豊かさは、先進国のどの国にも負けない。

私は、今回の研修中に「私には、世界を変えることはできない」と思う事が度々あった。だが直接、ミャンマーの現状を目にして、行動を起こさずにはいられなかった。この留学プログラムに参加した16人の高校生でミャンマーに対するボランティア活動とミャンマーの現状を広めることを目的とした非公式LINEアカウントを開設し、各出身高校への募金箱設置を行った。

私はこの研修で気付いた事がある。それは、「私たちは微力だけど、無力じゃない」という事だ。確かに、私たち個人では義援金や支援金を送るという大掛かりなことは無理だろう。だが、お金だけが全てではない。私たちにだってできることがある。様々な方法がある中で私は「知る」事が一番重要だと考える。一人一人の考えが変われば、意識が変わり、いつしかそれは行動になるだろう。だから、私たちは率先して周りの皆に伝えたい。そして、周りの人々を巻き込んで、ミャンマーだけでなく世界中の人々に平和な日々をおくってほしい。絵空事だと思う人がいるかもしれない。発展途上国だから仕方がないと思う人がいるかもしれない。ぜひ、あなたの持っている固定概念を捨てて私の話を聞いてほしい。あなたにも、私にもできる事があるのだ。そして、「あなたも私も微力だけど、無力じゃない」ということをどうか忘れないでいて欲しい。

 

 

 

私にも出来る!美里高校2年川満萌がミャンマーで気付いた国際協力

投稿者: oicYOUTHs 管理者

「微力だけど無力じゃない」

 

沖縄県立美里高等学校 2年 川満 萌  

 

「私たちは微力だけど無力じゃない。」

この夏、この言葉の意味を強く感じることとなった。私は「おきなわ国際協力人材育成事業」でミャンマーに行った。この事業はホームビジットや様々な分野で活躍する日本人や団体のもとを訪れ、国際協力・貢献について高校生が考えるというプログラムである。

私がこのプログラムの参加を決めたのは、西表島という沖縄県の端にある離島出身だったからだ。西表島は自然豊かなものの、インフラなどにおいて不利な一面もあるように思う。そういった課題は開発途上国にも共通する部分があると考えた。そこで、現地に行き同じような悩みをもつ者として自分なりの考えを明確にしたいと思った。

実際にミャンマーでは、有意義な時間を過ごすことができた。なかでも、印象に残っている分野は教育と福祉だ。

教育の分野では、スポーツ体育研究所を訪れ青年海外協力隊でスポーツ隊員として活動する別府里奈さんの講話と里奈さんの指導を受けている生徒との交流があった。初めは言葉も通じない、どんな国から来た人たちなのかわからない私達に壁を作っていた。しかし、沖縄の伝統的な踊りの1つであるカチャーシーを一緒に踊ったのをきっかけに最初に感じた壁が嘘のように消え、ボディーランゲージで互いの想いを伝え合うことができた。また別府さんのお話で国際協力の考え方に大きな変化があった。私は今まで国際協力とは何か大きなことを一方的に行うというイメージを持っていた。しかし別府さんの話を聞くことで、街で外国人を見かけたら声を掛けるなど小さな事でも良いのだという事に気づかされた。仲良くなる事は互いの国について知るきっかけとなる。相手の国のことを知るという第一歩となるからだ。日本の諺に「情けは人の為ならず」という言葉がある。国際協力はこの言葉の意味に通ずるものがあるそうだ。人に親切にすることは、やがて自分に戻ってくる。実際に日本は東日本大震災の際に多くの国の支援を受けた。これは、今まで日本が多くの国を支援してきたからだ。

 福祉の分野では、AARジャパンの職業訓練校を訪問した。ミャンマーには障害のある方が全国民の約2〜3%いる。しかし福祉制度が整っておらず、障害がある方への支援が不十分というのが現状だ。そんななか、AARジャパンの職業訓練校は、学費無料や全寮制、9割以上の就労率を実現させるサポート体制、さらに在学中だけでなく卒業後まで手厚く支援している。そこの生徒達は一人ひとり夢や目標を持っていて何か力強いものを感じた。それと同時に周りに甘えて生活している自分自身が恥ずかしくなった。ディスカッションをしていく中で生徒達からヘアカタログやマットレスを新しくしたいなどという声を聞いた。それなら高校生の私達でも力になれると思い、どのような方法で協力していけば良いのか派遣メンバーで議論を重ねた。そこで、この学校のことを日本の方に知ってもらう為に公式アカウントを立ち上げることにした。SNS時代の今だからこそSNSを活用し高校生の立場から思ったこと、感じたことを発信していくことにした。実際に生徒達とディスカッションした私達にしか伝えられないことがあるからだ。それを多くの方に知ってもらう事が今の私たちにできる最大限のことなのだ。大きな国際協力はできない。しかし、相手の事を知り伝えることは私にも出来る。そんな小さなことでも国際協力になり、誰かの幸せに繋がっているのだ。だからこそ微力かもしれないが小さなことから始めていきたい。私達は微力だけど無力ではないのだから。

「本当の国際協力とは」沖縄尚学高校 下地実香子

投稿者: 下地 実香子

「ミャンマーで学んだこと」

私の将来の夢は薬剤師になり、海外で活躍することです。海外といっても、先進国ではなく、医療技術などがまだ発達してない国でその国の発展に貢献したいと考えています。自分の夢を叶える上で、日本がどのような形で国際協力を行っているのかということに興味があり、今回、おきなわ国際協力人材育成事業に参加しました。

はじめての発展途上国で、ミャンマーという国名を聞いた時はあまり聞き慣れない国で不安な気持ちでしたが、同時に楽しみに思う気持ちもありました。ミャンマーに対してのイメージは、発展途上な国ということもあり、道にゴミなどが散乱していたり、人間性に関しては日本人のようには優しくないのではと思っていたりしました。七月三十一日に約五時間かけてミャンマーに到着しました。外に出てみると、とても暑くて、気候は沖縄に似ていると感じました。最も印象に残っているのは、初日に訪問したタバワ老人ホームです。そこでは、約三千七百人もの人々が生活していました。老人ホームと言っても、高齢者だけでなく、若い世代や幼い子どももおり、日本とは全く違うと感じました。ホームには、歯科や眼科、レントゲン室などの設備があり、医療面においては充実しています。しかし、薄暗い大部屋にマットレスを敷き、一日中横になっている人たちを見て、この人たちは幸せなのだろうかと思いました。改善したくても、莫大な費用がかかってしまうため、簡単にはできないという現状を知り、初日から、なんだか悲しい気持ちになり、どうすればこのような状況を変えることができるのかと思いました。

研修六日目、ホームビジットをするためにヤンゴンからマンダレーという都市へ移動しました。ホストファミリーがウッペイ橋に連れて行ってくれた時、物乞いをする人をたくさん見かけました。私たちのホストファミリーは非常に裕福な家庭で、それまでに目にした人々の暮らしとはかけ離れた生活でした。同じ国でも、こんなに貧富の差があることに驚きました。私たちはホストファミリーに日本のことを紹介するため、肉じゃがを作りました。美味しいと言いながら食べる姿を見て、日本料理を受け入れてくれているのだなと嬉しい気持ちになりました。

今回の研修を通して、私は、国際協力の大切さを学びました。研修前までは、国際協力とは、知識や技術を提供しているに過ぎないと思っていました。しかし、多くの関係者の話を聞き、国際協力とは人と人との繋がりを築くことであり、支援することで日本も助けてもらっているんだと気づくことが出来ました。言葉は通じませんでしたが、ミャンマーの人たちは私たちに積極的に話しかけてくれたり、優しく接してくれたり、ミャンマーに対してのイメージも大きく変わりました。私は薬剤師になり医療支援がしたい、と改めて思いました。今回、経験したこと、学んだことを家族や学校の友人に伝え、将来の夢を実現するため努力していきます。そして、沖縄・日本と開発途上国との架け橋になる人材になりたいと思います。

 

「本当の幸せって何だろう」と何度も考えた 球陽高等学校・安里渚紗の夏。

投稿者: oicYOUTHs 管理者

「ミャンマー派遣を通して」


      沖縄県立球陽高等学校 二年 安里 渚紗


 「本当の幸せって何だろう」

私は今年の夏休み、沖縄県の国際協力人材育成事業で「国際協力レポーター」として、11日間ミャンマーへ派遣された。冒頭で述べたこの言葉は、私が今回の派遣を通して何度も考えさせられたことだ。


 ミャンマーは、いわゆる「発展途上国」と呼ばれている国だ。発展途上国といわれ、大体の人がイメージするのは貧困や危険、不便、などといったマイナスなことだろう。実際私自身も、そのようなイメージを持っていた。


しかし、行ってみると、ミャンマーはものすごく活気にあふれていて、温かい人や生き生きしている人が多いなと感じたし、毎日がワクワクの連続だった。その一方で、もともと持っていたネガティブなイメージを裏切らない現実にも直面した。「物乞い」だ。彼らは様々な場所や様々な方法で、私たちからお金をもらおうとしていた。また、研修の視察先であったある老人ホームの状態に驚いた貧しい方が多い老人ホームといっても日本にあるようなものではなく、一つの小さな部屋にたくさんの簡易的なベッドが置かれていて人間がすし詰め状態になっていたり、当たり前のように野犬もいたりした。とても衛生的だとは言うことはできなかった。


これらを目の当たりにして、私は、頭を殴られたかのような強い衝撃を受けた。ミャンマーへ派遣される前に事前に学習してはいたものの、実際に見ると、言葉にならなかった。そしてそこで何もできない自分悔しかった。また、不覚にも「彼らは本当に幸せなのだろうか」と思っていた。自分の中でのこの問いに対する答えとしては「人による」だと感じた。あの生活に不満を持つ人もいれば、住める場所があるだけありがたい、と思っている人もいるだろう。私は日本から来た人間で、初めてあの状態を目にしたときは、自分だったらこんなところに住めない、とか可哀想だ、という気持ちがあった。その気持ちというのは上から目線なのではないかとも感じた。自分の価値観に囚われてしまっていたのである。


 私たちはミャンマーの、ある小学校に訪問する機会があった。そこで子ども達と交流した。そこには貧しい家庭の子もお金持ちの家庭の子もいたが、みんな笑顔がとても輝いていた。世界中のどこへ行っても子どもというのは純粋でたくさんの可能性を秘めていると確信した。


 この11日間のミャンマーでの研修で、病院や身体障害者のための職業訓練校などを訪れた。そこで、たくさんのものを見て、聞、触れ、感じた。悲しい現実を何度も突き付けられた。そしてミャンマー人の人柄の良さや食べ物や文化を含めポジティブなところも数多くあった。私はそのようなまだ大方には知られていない途上国の魅力やそこにしかない良いところを伝えたいと思った。そのためには私たち派遣された人は、自分の家族や友人に感じたことを伝えることが大切である。そうすることで家族や友人も途上国について興味関心をもってくれるのではないか。そして、「途上国=怖い」というイメージを払拭したい。

【派遣生徒の感想文】 「輝く笑顔のために」  沖縄県立与勝高等学校 二年 横田花音

投稿者: oicYOUTHs 管理者
「輝く笑顔のために」  沖縄県立与勝高等学校 二年 横田花音

 

「ミャンマー」今まで生きてきた中で数えるほどしか聞いたことのない国。初めて派遣先を聞いた時の印象はそういうものでした。今年の夏、私は沖縄県の代表としてミャンマーに派遣されることになりました。小さなころから海外でのボランティアに興味があった私は、未知の国への好奇心が抑えきれず、不安な気持ちを蹴飛ばしてミャンマーへ旅立ちました。


舗装されていない道路、どこへ行っても歩いている野犬、車が走っている中平気で道を横切る人たち。初めてミャンマーの地に降り立った時、見るものすべてが初めてだらけで目がずっと輝いていたことを覚えています。

研修中、現地ではいろんな人と出会いました。家族に捨てられたご老人、幼いのに物を売る子供、障がいを抱えながらも職をもとうと奮闘する方、スポーツ選手を志す少年少女、楽しそうに勉強する子供たち。彼らのすべてに言えたことは、「皆笑顔がキラキラしていた」ということでした。たとえば、私たちが子どもに捨てられたご老人たちをカチャーシーで励ましたとき。最初こそは笑わなかった彼らも、私たちが帰る頃には笑顔で送り出してくれました。また、障がい者職業訓練校に通う生徒とディスカッションを交わしたときも、彼らはみな口を揃えて「未来が見える」「生きるのが楽しい」と笑顔で話していました。私は、その時の笑顔が忘れられません。


彼らは日本の老人や障がいを持つ人よりも裕福ではなく、生活に困っていたりしているはず。それでも彼らの笑顔はいきいきとして、輝いていました。彼らだけではありません。日本から来たボランティアの方々も大変そうなのに、何故かキラキラとしていました。


それはなぜだろう。私はとても不思議でしたが、答えは簡単でした。水道水が飲めなくて、川が濁っていて、道路がデコボコで。とても不便だけど、現地の人々はそれ以上に人が良くて、大変だけど、人と人との絆が自然と強くなれる。それがミャンマーをはじめ、発展途上国の魅力なんじゃないかと思いました。


実際に行って、彼らの笑顔を見ることで「彼らに何かして、キラキラとした笑顔をもっと作ってあげたい」という思いが行く前より何倍にも膨れ上がりました。何をすれば彼らは喜んでくれるだろう。そのために、自分たち今何ができるかという話を夕食の時間やホテルの一室に集まって毎日のように話し合いました。

「小さなことでもい。自分たちに出来ることをすればいいんだ。」

 仲間たちと出した結論。学生の自分たちはできないことが多いけど、できることがないわけじゃない。みんなで出した結論は、自分に出来ることでボランティアを行う青年海外協力隊のテーマに似ているなと感じました。このようなことを真剣に語り合える仲間たちと巡り逢えたのも、この研修に参加したからだと感じました。


 ミャンマーに行って、キラキラとした仲間たちと、現地の輝く笑顔に出会えて、自分をもっと磨くことができて、本当に良かったと思っています。この夏の思い出は、私の人生における大切な宝物です。私の夢は言語聴覚士で、いずれは青年海外協力隊として障がいを持つ人たちをサポートしていきたいです。数年後、発展途上国でボランティアとして働いている自分も、サポートしている方々も、あの時見たようなまた、それ以上に何倍もキラキラとした笑顔で笑えているといいなと思います。


 

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