レポート

参加者レポート < ラオス >

私の心を揺さぶる異国の日々!開邦高校1年杉野乃彩が「伝えていかなければならない事」

投稿者: oicYOUTHs 事務局

伝えるべきこと

                 沖縄県立開邦高等学校 1年 杉野乃彩

 

 今年の夏、私は国際協力レポーターとしてラオスを訪問しました。異国で過ごした日々はどれも新鮮で私の心を揺さぶるものばかりでした。平成最後の夏は、私の人生を大きく変えてくれました。

 ラオスでの11日間は、JICAが支援している施設の訪問や、ナー村という村でホームステイを体験するなど、とても充実した11日間でした。数多くの研修の中で私達は、琉球大学が現地の小学校で行っているブラッシング指導プロジェクトに参加しました。それまで各訪問先で「教わる」立場だった私達でしたが、この日初めて「教える」立場として活動しました。ラーオ語も十分に話すこともできず、英語も伝わらないという状況にとても戸惑いましたが、カタコトのラーオ語と精一杯のジェスチャーを使い、ラオスの小学生に正しい歯磨きの仕方を教えることが出来ました。活動の最後にはみんなで音楽に合わせてダンスを踊ったり、ゲームをしたりして交流する事が出来ました。それは、ラオスの子ども達と私達との間に言葉や文化の壁がなくなった瞬間でした。

 私にとっての国際協力は「技術」が最も重要なものでした。しかし、今回のラオス訪問を通して、重要な事は「技術」ではなく「伝えようする心」と「受け入れる心」であると学びました。それと同時に「国際交流が出来ない人に、国際協力はできない」という事も身をもって学ぶことが出来ました。

 ラオスに訪問するまでの私は、発展途上国に対してマイナスなイメージを抱いていました。十分な医療を受けることが出来ず、誰もが等しく受けることが出来るはずの教育でさえ、思うように受けることが出来ない。「そんなところに住む人々は可哀想」、と心のどこかで思っていました。

 しかしラオスの人々は、遠い異国からやってきた私達に対しても笑顔で挨拶を交わしてくれました。ホームステイ先の村では昨日まで他人だった私達を本当の家族のように歓迎してくれました。ラオス訪問前に抱えていた偏見が嘘のように、ラオスで過ごした11日間の中で「可哀想」と感じたことは一度もありませんでした。

ラオスは「発展途上国」です。「先進国」と呼ばれる日本との貧富の差は、誰の目にも明らかです。しかし、国民一人一人に目を向けるとどうでしょうか。私が見たラオスの人々はたくましく、幸せに溢れ、常に輝いて見えました。彼らの心は、私達よりもずっと豊かだったのです。

 私は伝えていかなければいけません。国際協力レポーターとして、発展途上国について誤解や偏見を持つ人々に。私は伝えていきます。これからの未来に向かって。

 

得たものを将来に活かせるのは私だけ。北谷高校2年生金城優李が感じた「今の私がやるべき事」

投稿者: oicYOUTHs 事務局

「私たちがやるべき事」

沖縄県立北谷高等学校 2年 金城優李

 

今の私にできることって何だろう。

高校に入学した私はこんなことを考えるようになった。中学の頃は部活動や委員会で積極的に活動していた。そんな私は「自分にできることがあるって本当に幸せな事だな。」と毎日のように考えていた。

そんな時この事業を知った。「沖縄国際協力人材育成事業」は高校生が国際協力の現場を視察したり現地の人々と交流を行ったりすることで国際交流と国際協力活動を担う次世代の育成を行うものであった。私はこの事業の語学力は問わないという所にチャンスをみつけた。語学力のない私でも海外に行く事が出来る。何か見つけられるかもしれない。そんな思いでこの事業に応募した。そして参加者に選ばれた時は心から喜んだ。この事業への参加を意気込んでいたが、私は自分が開発途上国について何も知らないということ、それどころかODAとは何かと言う宿題を出された時も固まり、日本が行っている国際協力についても知らなかった。そんな私が現地に派遣されて、自分に何ができるだろう。何も出来ないのではないか。と考えてしまった。

不安を抱えながら派遣国であるラオスに行き、11日間滞在した。毎日の研修で私は本当に多くのことを学んだ。ラオスは乳幼児死亡率が高い。それは保健教育が充分に出来ていない地域があるからだ。そのほか医療現場での衛生管理が不十分であったり、出てくるゴミの処理が都市部と地方では違っていたり、地方では不発弾の埋まっている土地で生活している人もいた。貧困も問題であった。私が研修を通してとても心が痛くなったのは、貧しい人は安全に生活することも出来ないことだ。そして、学校にも通えない。十分な食事も取れない。

私が行ったCope Visitor Centreという不発弾資料館で見たビデオではある女性が泣きながらインタビューに答えていた。「私は畑で仕事中に自分の足を失った。そのせいで子供をこの危険な土地で働かせることになってしまった。これほどまでに辛いことはない。」この言葉を聞いた時、涙が出てしまった。その時はもう人事のように思えなかったのだ。しかし、こんな自分に何ができるのだろう。と考えた。ラオスにいくまでは形にならなかった考えが少しまとまり、今の私に出来ることは、この事業で感じたことを多くの人に伝えることだ。という結果になった。

私はこの事業に参加しなければずっと日本で自分の固定概念や日本人の物の考え方に囚われて生きていたのだろうと思う。何かに対して興味を示さないと、知らなかったことを知ることは出来ないのだと感じた。それは私だけではないと考える。高校生で国際協力なんて大きすぎる。そう思う人もいるかもしれない。私自身そう思っていた。しかし、協力とまではいかなくても、興味をもつことは大切なことだ。そして興味を持つことで自分にできることを見つけることもできるのではないか。私はこの事業を通して、自分にできることを見つけた。それは私の将来の夢であった助産師になって、青年海外協力隊として派遣されることである。この経験で、得たものを将来に活かせるのは私だけだ。その目標に向かって今私ができることは、たくさんの人に見たもの感じたことを伝えて興味を持ってもらう。私は多くの人にこの思いを伝えたい。

那覇西高校3年金城伶奈の大発明!これが幸せになるプロセス!

投稿者: oicYOUTHs 管理者

「幸せとは?」

沖縄県立那覇西高等学校 3年 金城 伶奈

 

経済的な豊かさは幸福につながるのだろうか。日本の生活はとても便利で経済的に豊かだ。食事は好きなものが好きなだけ食べられる、毎日温かいお風呂にはいれる、トイレが自動で流れる、欲しいもの買える、学校に行ける。一方で、英会話教室の先生がこんなことを言っていた。「日本人は毎日疲れているみたいだよ」私にとって幸せとは何だろう?そう問いながら、私は11日間のラオス研修に参加した。

 私が一番印象に残っている体験はホームステイだ。決して経済的に豊かな国とは言えない村には、お金より大事だと感じた、コミュニティがあるひと昔前の沖縄に似ていて、村全体が一つの家族のようで助け合っている。私は村の人たちと言葉は通じないが、ボディランゲージを使って会話をした。その時初めて心と心で会話をすることの意味がわかった気がした。メディアが伝える途上国のイメ-ジは貧しくて、かわいそうなどの印象を与えるものが多いが現地に行ってその考えは覆された。経済的には豊かではないラオスだが、一番大切な人の心の暖かさがある。嘘も偽りもない素直な笑顔で私たちの心を暖めてくれる。子ども達と日本のおもちゃで遊ぶと、どこの誰が使っても必ず綺麗に袋にしまい、ありがとうといって返してくれる。私たちの住む場所では大概、人づてに貸した物はどこかに消えて帰ってこない。ラオスの子ども達にとても感動した瞬間だった。そして大人は一つ屋根の下に集まり、たわいもない会話をしながら、のんびりと民芸品を作る。きっとここには他人なんて言葉はない。外国から来た私たちを心から歓迎し、家族のように接して笑顔と愛で溢れたこの村、この国の人たちは毎日が幸せだと感じた。しかし、村とは離れた首都にある、日本企業の工場を訪れるとラオスの別の現実を目の当たりにした。そこにはロボットのように働く私と同年代の人たちの姿があった。彼女たちはやりがいを感じて働いているのか。この時私は、私たちの教室に似ているような気がした。私は働き方、生き方の対極を見たのだと思う。英会話の先生が言う、様々なストレスを抱えやりがいを感じずに働くこと、自分がやりたいことでやりがいを感じながら働くことの対極だ。今までは流されて何の疑問も持たず目の前のことにただ取り組んでいた毎日だった。しかしラオスに行くことで私の本当にやりたいことは何か、幸せとはなにかに気づいた。自分は今幸せなのか?自分は今何をしているのか?その問いを自分自身に問い続けることが大事なんだと思う。

 ラオスに行ってから私の行動は変わった。いつも使う物、食べている物の先にいる人の気持ちを考え大切にするようになった。“お金を払っているからwin-winじゃん”という考えは絶対にもう出てこない。現実を知り、働き方や生き方を考えると同時に、“物の価値”を考えさせられた。見えない部分への感謝の気持ちを忘れないことを。村の現状も、工場の現状もすべてリアルだ。そして実際に見ることで、自分のものさしだけで物事を見ていた自分に気づけた。

your smile it makes me smile 幸せになってみ”と現地ガイドのかいさんが私に言う。「誰に何を言われても、自分のしたいことをしている、だから私は今、幸せですよ。」そう言っていた。だから私は今日も今自分は幸せか?今自分は何をしているんだろうか?問い続ける。それが幸せになるプロセスであるのだと思う。世界の幸せのために私たちが出来ることは、まず自分が幸せだと感じて過ごすことではないだろうか。日常に流されず、自分の考え、気持ちを大切にして自分らしく生きていきたい。

納得!コザ高校2年大城梨沙子が聞いた「日本にあってラオスにないもの、ラオスにあって日本にないもの」

投稿者: oicYOUTHs 管理者

「異文化と共に」

沖縄県立コザ高等学校 2年 大城梨紗子

 

私はこの夏、県が実施する高校生を対象とする海外研修プロジェクトで11日間ラオスを訪問した。

 

 「日本は先進国であるから教える側、ラオスは途上国であるから教えを乞う側」ラオスに行く前の私は、漠然とこのような考えを持っていた。そんな中ラオス研修に参加し、初日にJICAボランティア活動の見学で、ある群病院を訪れた。そこで助産師として活動している大竹隊員から話を伺った。彼女は、「日本にあってラオスにないものは技術。ラオスにあって日本にないものはコミュニティや家族の連携」だと仰った。その時点でこの言葉はあまりピンとこなかったが、次の日に総合病院を訪問して私は納得した。

 

その総合病院に足を踏み入れて、初めに感じたことは院内がにぎやかであることだった。院内スタッフの方は、「患者に付き添う家族が多いから。患者に家族が心から寄り添い、献身的に治療を見守ることができる。患者やその家族との間で会話が生まれ、コミュニティとなり、情報交換や励まし会うことができる。そして、院内が明るくなり治療に前向きになることができる。」と教えてくれた。ここが日本とラオスの違いで、前日の大竹隊員の話ともぴったり重なった。

 

確かに日本の病院の待合室は静かで、患者には個人としての区切りがあり、そこにコミュニティは存在しない。だが、医療技術は世界の中でも優れていて、救える命も多い。一方、ラオスでは医療技術の改善が望まれていて、機材の導入もまだ十分でない。しかし病院内に独特のコミュニティが存在し、人と人との強いつながりが大事にされている。病院の待合室というほんの小さな空間だけで、文化や慣習の違いを感じ、私は驚いた。と同時に異文化を理解し、どのように行動に移すかという国際協力をする上で重要視される本質を目にすることができた。

 

 他にも、JICANGOの現場・ラオスに進出している日系企業を訪問し、そこで活動する日本人の方にインタビューをすることができた。それを通して、支援をする日本が上の立場ではない。支援をする国とされる国とが対等の立ち位置にいて、お互いに教え合うことで国際協力が始まる。支援する国の一方的な押し付けは国際協力ではない。ということを学んだ。このことをこれから先も忘れてはいけないと思った。

 

 この研修に参加する前、私は将来やりたいことや就きたい職業が決まっていなかった。それは、世の中にどのような働き方があるのか、社会に貢献する方法を少ししか知らなかったからだと思う。実際に途上国で活躍している日本人に出会って、今まで私が知らなかったような世界を知ることができた。そこで強い憧れや、尊敬、自分の心が震えるのを感じた。だから私も将来、世界で活躍できる青年海外協力隊やシニア海外ボランティアに挑戦したいと思う。国や地域によって異なる文化も尊重しながら、お互いに教え合える国際社会を目指して。    

「笑顔が絶えない子供たち、あっと息を飲む美しいメコン川」前原高校3年仲村紺那の変化

投稿者: oicYOUTHs 管理者

「無関心から興味へ」

沖縄県立前原高等学校  3年 仲村紺那

 

笑顔が絶えない子供たち、あっと息を飲む美しさのメコン川。人が温かく、家族のつながりを大切にする、とても居心地の良い国だった。今でも鮮明に思い出せるほど、印象深く、衝撃を受けた。あの時全然知らなかった場所に、少しの興味で私は変わった。

 

私はこの夏、おきなわ国際人材育成事業レポーターとして、東南アジアにあるラオスに派遣された。この事業では、途上国に実際に足を運び、日本が行っている国際協力の現場を視察した。知人が去年この事業に参加したことを知って、興味を持った。私がラオスについて知っていること、それは何もなかった。この事業に参加するまでは、何も知らない、初めて名前を聞いた、というのが私の現状だった。参加が決まってからは、ラオスのことをもっと知ろうと、インターネットや本を読み、沢山の情報を得た。ラオスは、東南アジアの中でも最貧国で、いわゆる発展途上国だ。私がラオスについて知識がないように、日本の中でも、ラオスについて多くのことを知っている人はあまりいないだろう。日本での知名度は低く、耳にする機会はほとんどない。しかし、ラオスではその逆だ。ラオスにとって日本は、最大の援助国であり、日本の援助で作られた建物も多い。私たちが知らないだけであり、本当は多くの援助をしていたことに驚かされた。

 

実際に現地を訪れてみて、気づき感じ、学んだことがあった。それは、現地の病院を訪問したときだった。その病院は、2001年から現在まで、日本に支援をしてもらっている。そのおかげで、難しい症例をこなせたり、新しい病棟を立てたりすることができたそうだ。だが、まだ問題は解決していなかった。ラオスの医師や看護師は、学校を卒業すれば、その職につけるそうだ。国家資格の制度がないため、沢山の人材がいるが、その分質がよくないのだ。この現状を聞き、こんなにも知らなかったことが多かったのかと、ラオスについての知識の無さを感じた。私たちが住んでいる日本は、先進国と呼ばれている。その技術の高さを生かし、多くの人にラオスに行ってもらい、途上国の医療に貢献してほしいと感じた。また、国際協力という目で見てみると、新たな問題があると気づいた。日本がラオスに対して、様々な援助をしている事はとても良いことだと思う。だが時には、国際協力は、固定観念を相手国に押し付けてしまうこともある。実際に病院を視察してみて、現地にとっては当たり前のことを、私たち日本とは違うからという理由で、改善したほうがいいと思ってしまった。それは、相手国の文化・風習を知らなかったために起こったことだと思う。途上国であるラオスにとっては、日本からの支援が必要だ。だから、知らないで終わるのではなく、少しでも良いから興味を持ち、協力したいと思ってほしいと感じた。

 

多くの視察先を訪問してみて、無関心は国際協力にとって、一番恐ろしいことだと思った。この事業に参加する前や、現地に行っている間も知らないことのほうが多かった。今このように、支援を必要としている国に援助をするという関係が成り立っているのは、相手のことを理解し、尊重し合っているからだと思う。私が今皆さんに伝えたいことは、無関心から興味をもつことで、どこかの国の手助けができたり、将来を大きく変えられたりする、ということ。ラオスという国の名前さえも知らなかった私が、将来ラオスで国際協力をしたいと思えたのは、無関心からの興味だった。

 

 

19 1件~19件表示 次へ>>