レポート

ともに考える

投稿者: 比嘉 よし乃

私が世界のためにできることは何か。そのことを深く考えさせてくれた夏だった。

私は、この夏、沖縄県の「国際協力レポーター事業」に参加し、ベトナムを訪れた。様々な機関や施設を見学した中で、衝撃を受けたことがある。

それは、ベトナムのごみ問題だ。ベトナムは、私が想像していたよりも発展しているが、道をよく見てみると、どこにいってもたくさんのゴミが落ちている。そのようなベトナムで、私たちは中部のホイアン市を訪れた。目に飛び込んでくる未分別のゴミの山、マスク越しでも感じる悪臭、飛び交うハエの羽音。私たちがこの光景を目の当たりにしたのはゴミ処理場ではなく、コンポスト(肥料)工場だ。年々ゴミが増え続けているベトナムでは、焼却施設の処理能力が不足し、その中でもホイアン市はこれまで国内の他の地域にゴミの埋め立てを依頼していた。しかし、私たちがコンポスト工場を訪れたちょうど五日前にその地域がゴミの受け入れを拒否したため、仕方なくコンポスト工場にゴミを置いているというのだ。ゴミ処理場ではない施設に、分別されていない大量のゴミが処理されないまま置いてあるという状況に私たちは大きな衝撃を受けた。

さらに衝撃的だったのは、日本をはじめとした先進国の国々が、ベトナムなどの発展途上国に自国のゴミを輸出しているという事実だ。私は今まで、ODA事業の一環として発展途上国のゴミ問題の支援もしている日本を誇らしく思っていたが、そんな日本が、実はゴミ処理技術が未だ確立していない発展途上国のゴミをさらに増やすようなことをしていたのだ。そのようなことは全く思ってもみなかった私にとっては、とてもショッキングな事実であったし、私が出したゴミがもしかしたら今ベトナムに輸出されているのかもしれないと考えると、気軽にゴミを捨てている自分がとても恥ずかしくなった。

私がベトナムで受けたこの衝撃は、自分に何ができるかを考えるきっかけになった。現状を変えるために私たちができることは、一体何なのか。

 この研修を通して私が見つけた答えは「ともに考え、発信する」ということだ。私がベトナムで見たゴミは、ベトナムだけの問題ではないのだ。日本や他の国々が、ベトナムのゴミ問題に関わっている。だから、私たちがこの問題を人ごとだと思わず、自分たちの問題でもあると意識して、自分たちができることを考え発信していく。それが現状を変える最善の方法ではないかと私は考える。そして、私は、ベトナムで処理しきれない大量のゴミの中に、自分たちが出したゴミが含まれているかもしれないということを、先進国をはじめとした多くの国の人に知ってほしいと感じた。そのために私自身ができることは、ベトナムで見た現状や、感じた問題を周りに伝えて、この問題を多くの人に知ってもらうことだ。そして、当たり前のことではあるが、今の自分の生活を改めて見直して、ゴミを少しでも減らすことだ。そして、先進国も、発展途上国を「支援する」のではなく、途上国と「ともに取り組む」という意識を持つことが大切だ。このような意識の積み重ねをひとりひとりが行うようになれば、先進国がベトナムにかけている負担は減る。

 ベトナムでのこの体験を生かして、私は、現状を知ること、自分にできることを考え、発信していくことの大切さを学んだ。これからも、自分にできることは何か問い続けていきたい。

傾聴力

投稿者: 末永 晴之

私は平成31年度おきなわ国際協力人材育成事業に参加してベトナムへ11日間派遣された。私は将来医者離島や海外でも活躍できる医者になりたいと思っている。この事業は海外で地域医療について学ぶ絶好のチャンスだと思い応募しました。
 その後、ベトナムへの派遣が決定し、とても嬉しい気持ちで事前研修を受けた。そこでは周りの人のレベルの高さにとても衝撃を受けた。また、ベトナムチームでは唯一の1年生であるため話し合いの時には全員に敬語を使わなくてはいけないためとても気をつかった。しかし、そんな私が意見をはっきり言うことができるように先輩達が私に優しくしてくれた。私は東京に生まれ中学校まで東京で育った。目上の人には敬語を使い続けていた。しかしここでは、沖縄の心の広さや「なんくるないさー」の精神で優しく私の話を聞いてくれた。そのためとても伸び伸びと交流したり、自由に意見を言ったりできた。事前研修だけではないですが国際協力にも同じ事が言えると思う。
 今の世界は先進国と発展途上国の発言力の強さがよくわかる。例えば、国連の常任理事国のシステムを見ると国連総会で決めたことが常任理事国のいずれかの国が拒否するとその事案は採択されない。このように国同士でも立場が上の国が様々なことを決めてしまい立場が下の国の発言力が失われてしまう。今の日本は強い発言力を持っていると思う。その中JICAをはじめとする多くの行政や企業がODAや技術協力などの国際協力を行なっている。しかし、その時に途上国のニーズや市民の声、自然環境、人への被害など、相手国側の声をないがしろにしてしまうと協力する側と受ける側とですれ違いが生まれてしまう。
 しかし、日本は事前調査を徹底しているためそのようなことはほぼないとJICAベトナム事務所の方がおっしゃっていた。すれ違った側として、フランスが建設したコンポスト工場がある。工場では、分解できるものは分解して堆肥にするという一見計画的な工場だが、ベトナムでは昔から家庭で出る生ゴミは自分の畑で堆肥にしている。そのフランスの調査不足であったため今の工場は充分に稼働していない。この工場建設の裏側にはフランス側の一方的な支援が関係している。事前調査を行なっていなかったため特に必要でない工場が、建てられてしまった。また、コンポスト工場で分解できないゴミは、焼却炉で焼却するが焼却炉でもベトナムの財政を圧迫する修理費などにより焼却炉も稼働できていない。このように立場が上の国が下の国の意見を聞かずに支援をするということはとても良くないとこだと思う。相手側が自分達の意見をはっきりと言える状況を作るのが国際協力の第一歩だと私は思う。
 私たちから始めるべき一歩はどんな相手に対してもまずは話し合いをするということだ。このことが多くの人に伝われば自分達が大人になった時に多対等に話し合いができる世界が広まっていると思う。その様な世界ではコンポスト工場のようにすれ違いは起きない。国際協力が今以上に進み、より良い世界になると思う。

日頃の学校生活でも相手との関係や立場を利用して強引に話を進めるのではなくしっかりと相手側の立場に寄り添いながら話し合いをすることが私たちから始まる一歩だと思う。

高校生の私が今できること

投稿者: 比嘉 美架琉

一週間分のゴミの山、廊下にあふれている人びと、学校に通えない子供たち。この光景を見たとき、とても心が苦しくなった。これが、私の心を大きく揺るがすきっかけとなるものだった。

 私は、助産師になりたいという夢を持っていて、発展途上国の医療現場を実際に目で見てみたいという気持ちがあり応募した国際協力レポーター事業で、ベトナムに十一日間派遣された。ベトナムは、気温や天候、陸の形等、私の出身地である沖縄と似ている点が多々あり、魅力的な所だ。

 ところが、北部から南部にかけて色々なところを訪れるにあたって、保健医療をテーマに派遣されたものの、保健医療とは違う分野で課題を見つけ考え悩むことも多かった。時には、振り返りを終わっても、十三人で集まってこれから自分たちにできることなどを話し合ったりした。

 そして、この話し合いの中で最も深く考えたのはホイアン市のコンポスト工場のゴミ問題だ。ホイアン市のゴミの最終処分場がなくなり、コンポスト工場に一週間分のゴミが置かれていた。それは、見たことのない量のゴミの山で強烈な臭いがした。日本に支援され少しずつ解決されていったホイアン市のゴミ問題が、再び大量のゴミに悩まされているのを間近で感じ、また、何をしたらいいのかわからない職場の人の声を聞き、私も含めて事業に参加するみんなが、問題解決の手助けをしたいと強く思った。

 では、何をどうすればいいのだろうか。

 私は、ゴミを減らすことを考えた。例えば、ベトナムの水質を改善することによって蛇口から水を飲むことができるようになれば、観光客はペットボトルを買う必要もなくなり今までのペットボトル分のゴミは減るだろうと考えた。しかし、それは、範囲が広く時間やお金など、到底私たちができることではないと思った。ただ、これも時がたてば解決しなければならない問題になることを頭に入れておくべきではあると思う。

 そうして、私たちは、話し合いの中で、分別を市民に広める・ゴミ分別の教育をする・広報活動をするなど沢山の意見を出し合った。しかし、実行するには難しいことが分かった。だからといって、そのまま見過ごしていてはいけないと考え悩まされた。

 結局、十一日間の期間では「こうしよう」というような答えにはたどり着かなかったものの、SNSや報告会で沢山の人に発展途上国の現状を発信し、より多くの人に知ってもらおうという答えが出た。

 このゴミ問題だけでなく、医療の分野では病床稼働率の高さやこれから進んでいく高齢化社会の問題、福祉の分野ではストリートチルドレンといわれる子どもたちを援助したりなど分野によってまだまだ問題は山ほどある。

 その中で私は、これまで国際協力に興味のなかった人に少しでも関心を持ってもらえるように活動していきたい。

 今回の事業を通して、喜怒哀楽で感じることの多いとても貴重な経験ができ、この経験は誰もができることではないので、事業に参加できたことに感謝する。また、この事業をきっかけに海外青年協力隊に興味を持ったので将来にこの経験を活かしていこうと決意した。

私の小さな一歩

投稿者: 津堅門 瑞姫

今年の夏、「おきなわ国際協力人材育成事業」に参加した私はベトナムへ派遣された。行き交うバイクの群れ、車道を平然と歩く人々、鳴りやまないクラクション。たった5分道を歩くだけでも、日本と全く違う光景が次々と私の目に飛び込んできた。一方で、立ち並ぶ高層ビルや様々な国の観光客も見られ、ベトナムが「開発途上国」と呼ばれる理由がよくわからなかった。

 しかし、その答えとも言える視察先が2カ所あった。1カ所目は、ホイアン市にあるごみ処分場だ。派遣前、民間団体「沖縄リサイクル運動市民の会」が、ホイアン市を対象に10年間支援をしていたことを学んだ。その時の私は、ホイアン市のゴミ問題は解決したものだと思い込んでいた。ところが、街中にはポイ捨てされたゴミが目立ち、現地の人もそれが当たり前という様子で、気にも留めていなかった。そして処分場に入ると、嗅いだことのない強烈な臭いと同時に、ゴミの山が現れた。分別はきちんとされておらず、ハエが数えきれないほど飛び回っていた。現地のスタッフによると、70tから8tに削減できていた1日のゴミの量は、現在100tに膨れ上がり、視察の約1週間前には他の市からゴミの受け入れを拒否されたのだという。これからどのような対策していくのかと尋ねると、「私達もどうすればいいかわからない。」と返ってきた。今あるゴミの処理すらままならないのに、毎日100tものゴミが追加されていく。解決策が見つからないまま、処分場がゴミで埋め尽くされてしまうような気がして、とても怖くなった。

 2カ所目はホーチミン市にあるチョーライ病院だ。事前に、南部を代表する大きな病院だと聞いた私は、日本と大きな差はないのかもしれないと思っていた。しかし、病院内は、沢山の患者で溢れかえり、工事の騒音が響き渡り、床は土や液体で汚れたまま放置され、医師や看護師がスマートフォンをいじっているといった状況だった。また、看護師の数が少ないために、入院患者の家族が仕事を辞めてまで介護しなくてはいけない現状があることも知った。本当に病院なのか疑ってしまうほど、私が想像していた病院とはかけ離れていた。もし病気やケガをしても、この病院に行くのは躊躇するかもしれない。改めて、日本の医療制度のレベルの高さを実感し、それを無意識に当たり前だと感じていた自分が恥ずかしくなった。

 この2カ所を視察した後、私は一刻も早くあの状況を変えたい、解決したいと強く思った。とは言え、高校生の私には、処分場の設備を増やしたり、病院の環境整備や人材を育成したりするためのお金も技術もない。何も出来ない自分の無力さがとても悔しかった。

しかし、私は直接的な国際協力に囚われすぎるあまり、自分にも出来ることを見落としていたのだ。私が出来る国際協力。それは、情報の発信だ。SNSを使えば場所や時間が制限されず、世界中に現状を知ってもらうことが出来る。実際に見て、聞いて、体験した私だからこそ伝えられることがあるはずだ。私もチョーライ病院を視察したことで、治療だけでなく、治療を行う環境を整え、医療従事者の人材育成にも尽力する医師になりたいと考えるようになった。これも、開発途上国が抱える課題を知ったことで生まれた変化だ。

 

 

 たった一人の発信は、とても小さいものかもしれない。しかし、多くの人々が今起きている問題を知り、協力し合うためには無くてはならないものだと私は考える。だからこそ、私はこの小さな一歩を続けていこうと思う。その先によりよい未来があると信じて。

歴史を知ること。課題を知ること

投稿者: 長浜 好香

一六歳の私に、何ができるのだろうか。

テレビの画面越しで見ていた、発展途上国の現状を目の当たりにした時、ショックを受けた。

世界を、国際協力を、甘く見ていたのだ。

医療や教育など、国際協力のどれか1つを取ってみても、お金だけではなく、そこに行くまでの努力や、多くの人の働きがあってこそ成り立っているのだ。それは私が、県の国際協力人材育成事業で、ベトナムに派遣されたことで、感じた大きな衝撃だった。

 私にも、何かできることがあるかもしれないと思ったのは、研修の後半で訪れた、戦争証跡博物館というところで、多くのことを学び、考えたことからだった。

ベトナム戦争の歴史を綴る戦争証跡博物館では、想像を遥かに越える悲惨な戦争の惨状を目の当たりにすることとなった。戦争に使われた戦闘機や枯葉剤の影響によって障害を持って生まれた子供達、拷問された人達など、戦争によって被害を受けた方々の展示を前に、いろいろな思いが心を駆け巡った。 

例えば、枯葉剤の影響によって障害を持って生まれた子供達。彼らは、奇形児と呼ばれ、手足がない子、むくんだ顔の子、つながった体の子など、その姿は様々で、まかれた枯葉剤の恐ろしさを物語っていた。私は彼らの展示を前に、心に刺さる何か衝撃のようなものを感じた。

しかし、彼らが、展示されている自分達の姿を見る私達を想像した時、いったいどんな思いになったのだろうか。どんな目でみられるだろうと想像しただろうか。同情の目、好奇の目、偏見の目。彼らの気持ちを想像すると、私が感じたもの以上に大きくて重たい思いがあるのだろうなと思ったし、戦争の惨状を後世に伝えるために、資料の一部として展示されることを決断した彼らの思いが無駄にならないように、真摯にこの事実を受け止めたいと思った。

たくさんの戦争と関係のない一般人が犠牲になったことは沖縄戦と重なる部分があると思った。そんなベトナム戦争の犠牲者を生み出すこととなった原因の一つである兵器が、悲惨な戦争が起きた地元の沖縄の地から送り出されたという事実がある。沖縄も戦場となった経験があるからこそ、ベトナムと同じように戦争の悲惨さは痛いほど共感できる。しかし、沖縄から兵器が送り出された事実は沖縄の意思ではなくても、戦争に加担したようで、止めようがなかった反面、止められなかった罪悪感とで複雑な気持ちになった。

博物館の訪問は、心が痛くなるものが多くあったけど、それと同時にこれからの未来を平和に繋げるためには、こうした事実に目を背けずに、私達一人一人が、負の遺産として、学ぶことが大切だと思った。

それは、高校生が発展途上国の現状を変えることは出来ないけど、こういった国際協力を直に学ぶ事業を通して学んだことから、将来、国際協力に携わる人材になる可能性があるという点(実際に自分を含めた13名のメンバーも、国際協力に携わりたいという想いが生まれた人や強くなった人がほとんど)で、国際協力に繋がるかなと思う、私なりの考えだ。そして、同じように悲惨な戦争を経験した私達沖縄だからこそ行える平和の発信として、今年で戦後七四年を迎える沖縄が抱える、戦争を伝える体験者の減少に、戦争の及ぼした影響を記録に残す事の重要さが訴えられることは、ベトナムも共通して言えるから、その事をベトナムの人にも認識してもらえるように伝えていきたい。それこそ、今回の研修で繋がったベトナムの友達にSNSなどで呼びかけることなど、高校生の私にでもできることだと思う。

今回、私が、私自身にできることを見い出せたのは、歴史を知ったからだ。歴史を知って、課題を考える。

それが今の私なりの国際協力、国際貢献だ。

 

 

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